ANA国内線【PR】
< 前のページ次のページ >
東日本大震災・いわき市出身者として思うこと
<2010年7月26日の小名浜港>

帰省したとき、カメラを片手に小名浜港へ夕涼みに出掛けたのは去年の夏。
あれから一年も経たないうちにこの静かな港町が津波に襲われて姿を変えてしまう日が来るなんて、
誰も考えもしていなかったことでしょう。

震災直後から続く断水、原発の風評被害による物資不足、朝から何時間もスーパーに並んでも手に入る食料品はほんの僅か、残りのガソリンを気にしながら車で給水所へ水を汲みに行く毎日、ガソリンスタンドに並んだところで給油できるかどうかも分らない。

このままでは食料も水も手に入らなくなってしまう・・。

そんないわきの状況を聞き、実家の母と兄夫婦、小学生と幼稚園生の甥っ子と姪っ子を埼玉の私の自宅へ呼び寄せたのは震災から6日目のこと。

途中で2時間ぐらいガソリンスタンドで給油待ちをし、私の実家の家族は地震直後からお風呂にも入れずくたくたになっていた体をひきずるように、夜遅く埼玉に到着した。

計画停電で少々不便な思いもさせたけど、毎日ゆっくりお風呂に入れる、思う存分洗濯ができる、蛇口から出る水で手や顔を洗える、スーパーに並ばなくても食品が手に入る、病院で薬が手に入る・・。

そんな当たり前の日常をとてもありがたく貴重なものだと感動して過ごしてくれた。

私はせめて実家の水道が復旧するまで、福島第一原発の状況が安定するまでうちで過ごして欲しいと思っていたのに、たったの8日間だけ体を休め、母と兄家族は今朝、まだ水の出ないいわきの実家へ帰って行った。

お風呂に入ってゆっくり休ませてもらえたからもう大丈夫。水道もそのうち何とかなるだろう。
物資も前よりは入って来てるだろう。何とかなるよ。

一時的に避難して来ただけで、やっぱり自分達の生活する家、
これから子供達と生きて行く場所はいわきなんだと言って、慌しく帰って行った実家の家族。

今日からまた原発の状況と余震を気にしながら開店前にスーパーに並び、
自宅のお風呂にも入れず、給水所へ通う毎日になるのだろう。

そこまで大変な思いをしながらも、一時他県へ避難して束の間の休息をとったあと、
これからも生きてゆくために、またいわきへ帰って行く人達が他にも沢山いることを、
福島第一原発から200km以上も離れた首都圏で生活している人に知ってもらいたい。

放射能汚染について政府の発表が信じられないというのなら信じなければいい。
放射能汚染が怖いというのなら防護服でも着て地下鉄にでも乗ればいい。

乳児でもないくせに大人が水道水が怖いというのなら飲まなきゃいい。
福島県産の農作物が怖いというのなら触らなくていい。
原発から200km以上離れていても放射能が怖いという外国人は国外へ逃げればいい。

何をどうとらえ、どう判断するのかは個人の自由。

ただ、あれこれ憶測で騒ぎ立てる前に、こうして自分たちの生活や家族を守る為に、
今もあらゆる困難に立ち向かっているいわきの、福島の人達がいることを想像して欲しい。

原発事故の被害を最小限に食い止めるべく命を張って頑張っている原発職員、自衛隊、消防の方がいることも。

福島県にありながら、あの原発で作られていた電気は関東の東京電力管内で消費されていたことを、
計画停電対象外の東京23区内に住み、避難して来た福島やいわきの人達に暴言を吐くような人達は知っているのでしょうか。

はっきり言って、困難に立ち向かう人達は強いし逞しい。

きっと必ず近いうちにもとの、それ以上の町に復興できるはず。

頑張れ!小名浜! 頑張れ!いわき! 頑張れ!福島!!


バナーはこちらのサイトtetoteonahamaよりお借りしました。
今までの、今の、これからの小名浜を、このサイトを通じて
多くの人に知って頂きたいです。
# by hiro--27 | 2011-03-24 15:17 | 小名浜を楽しむ | Trackback | Comments(8)
松下海岸・夕景

<夕暮れの松下海岸>

日が落ちて誰もいなくなった松下海岸と遠くに見える小名浜の工場群。

母の看病で帰省していた7月末に撮り歩いた私の故郷、小名浜の風景。
しばらく続いた小名浜めぐり。とりあえずここまでにしたいと思います。

手術から2ヶ月経ち、母も元気を取り戻しました。

またゆっくり帰省できるようになったら、カメラを片手に潮風に吹かれて散歩に出掛けたいと思います。

人気ブログランキングへ
人気ブログランキングへ
# by hiro--27 | 2010-09-22 12:44 | 小名浜を楽しむ | Trackback | Comments(0)
< 前のページ 次のページ >